ブラジル旅行記
ブラジル長期滞在者による旅行記。長期滞在者ならではの切り口をお楽しみくださいね。
情報提供者: Mezquitaさん
第一日目はカシアス・ド・スル
という南ブラジルのリオグランデ・ド・スル州にある町へ行きました。カシアスはワインと工業が有名で、人口約35万。リオグランデ・ド・スル州では2番目に大きな街です。標高800メートルに位置している事から、冬の寒さは厳しいものがあり、雪が降る事もあるそうです。
カシアスはサンパウロから飛行機で約1時間半。バスだと18時間ぐらいだそうです。バスターミナルの様な空港に飛行機が降ります。カシアスにはイタリア人移民が入っています。リオグランデ・ド・スル州には、先にドイツ人移民が入植し、後でイタリア人移民が入植したそうで、条件のいい土地はドイツ人移民が持っているそうです。
そのためか、カシアスには多くの坂があります。またカシアスには、日本人がわずか8人しか住んでいないそうで、私のような東洋人が町を歩くと非常に目立ちます。ノルデスチ(東北ブラジル)よりも目立つかもしれません。そうそう、言い遅れましたが、ブラジルのモデルでカシアス出身の女性は多いそうです。それだからか、非常に美人が多い様に思えました。
この街では日本人の友達が、ブラジル人家族にホームステイしているので、お邪魔する事になりました。友達のホストファミリーはイタリア系で、笑顔が絶えず、活気に溢れた家でした。また料理もイタリア風で本当に美味しかったです。カシアスでは、シマホンと言われるお茶を是非、飲んでみてください。お茶の葉の固まりがはいった陶器の容器の中にお湯を何度も注いで、お茶を飲みます。酒に酔ったときはちょうどいいです。
発展途上国に分類されるブラジルですが、カシアス市では、欧州の田舎に居るような感覚で滞在でき、ほぼ先進国並みの生活水準に思えます。物価はよくわかりませんが、サンパウロ市よりは安く感じます。またカシアスは公共交通機関がそれほど発達していないので、移動にはほぼタクシーを使う事になると思います。
カシアスの周囲はSerra Gauchaと言って、ドイツ・イタリア移民の入植地が点在しています。それらの代表的な街には、Canela,Gramadoなどがあり、ドイツ風の街並みが残っています。私が行った時はクリスマスの飾り付けがしてあり、本当にきれいでした。欧州が好きな方には、お勧めの場所です。
次は北へ3000キロ、マナウスへ飛びます。
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12/5、カシアスからマナウスへ出発しました。マナウスは北ブラジルのアマゾナス州の州都。南から北への大移動でした。
出発の日、朝から雨が降り続いていました。カシアス在住の日本人移民の方に空港まで送ってもらったのですが、雨のため飛行機が降りてこないという事態が発生してしまいました。なぜならカシアスの空港は管制塔がないため、パイロットは有視界飛行で飛行機を着陸させなければならないからだそうです。それは僕にとって最悪の事態でした。飛行機が降りて来なければ出発する事もできない…そのため、Varigが準備したバスで空港からポルトアレグレまで行く事になりました。
研修生の友達は「もう一箇所タダでいけるのだからいいじゃん。」と慰めを言っていましたが、この遅れが致命的になると薄々感じていました。ポルトアレグレの空港には14時頃到着し、飛行機は14時半ぐらいに出発しました。
マナウスへの途中、更に誤算だったのはサンタカタリナ州のジョインビリを経由する事でした。ここで30分以上使ってしまいました。そしてサンパウロのCongonhas空港に16時半に着き、係員にリオまでのボーディングパスをもらいました。ボーディングパスに書いてある出発時間は16:59…。マナウスへの飛行機はリオのガレオン空港から18:40の出発。絶対に間に合いそうに無い時間でした。
そしてリオのサントドゥモント空港には18:00に着きました。20分ぐらいでガレオン空港につけば、何とか間に合う時間でした。そのためタクシーに「急いでガレオンに行ってくれ」と血相を変えて言いました。そうしたらタクシーの運ちゃんは「25R$」でいいかと、普通の価格より安い価格を提示してきました。それなりの迫力があったのでしょう。タクシーは急いでいる事を認識したせいか、相当危険な運転を続けていましたが、ラッシュアワーであったため、18.:50に着いてしまいました。
空港に着いた時、Varigのカウンターは既にしまっていたので予約をもう一度取り直す羽目になりました。たまたま次の日の9時に空きがあったので、そこに予約が入りました。空港のカウンターの兄さんは始め、予約の変更料金を取るという話をしていましたが、雨で飛べなくて遅れたのだから払えんという話をしたところ、本当にそうなのかとコンピュータで調べた後OKの返事が出てきました。
その後バスターミナルに行き1月1日発サンパウロ行きのバスのチケットを買い、リオの安宿(1泊25R$、約1400円)に泊まりました。この日は本当に早く寝ました。疲れた・・・の一言でした。
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12/5-7 Manaus
朝9時にリオからマナウスに向って出発しました。リオを離陸した飛行機はリオの上空で一周した後、ブラジリアを経由し、マナウスに向いました。ブラジリアではプール付きの家が並んでいる事に、ブラジルの公務員給料もらいすぎ・・・と思い、マナウスに近づいた時、飛行機からアマゾン川を見ました。アマゾン川はまるで海のようでした。その雄大さにただただ圧倒されていました。
ATMでお金を下ろそうと、空港ビルを出た瞬間、暑さに驚きました。カシアスが20℃前後であったのに、いきなり33度ぐらいに上がり、かつ湿度が非常に高いため、頭がくらくらしてきました。その後、ATMでお金を引き出そうとしましたが、機械が壊れていた為に引き出せませんでした。今回の旅では空港のATMが壊れているという事がよくありました。しょうがないのでインフォメーションでATMがある場所を聞きショッピングアマゾナスというデパートみたいな所を探し出し、何とかお金を下ろしました。
そしてバスとタクシーを乗り継ぎ、目的のアマゾナス自然科学博物館まで辿り着きました。この博物館には僕の日本人の友達が研修しており、マナウス滞在の間、彼の宿舎にお世話になっていました。その後、彼の案内で博物館を回りました。ここは魚の剥製や蝶のコレクションが素晴らしいです。また、ここでは幻の魚ピラルクーを飼育しています。ピラルクーが泳いでいる姿には感動しました。
マナウス市はアマゾンの真ん中にありますが、ブラジル有数の都会でもあります。マナウスといえば、
ゴム景気の頃に作り上げた、アマゾナス劇場が有名です。すべての材料を欧州から輸入して贅沢に作り上げたアマゾナス劇場を見ていると、なんだかブラジル人のお金の使い方が見えてきそうです。
マナウスでのおすすめなんですが、生ジュースを飲んでみてください。その中でも、クプアスーやマラクジャーはお勧めです。アイスでもジュースでも美味しいです。1R$(約60円)も出せば、生ジュースが飲めます。また、マナウスは魚料理が多く、ツクナレのスープはおすすめです。マナウスの夜は、Ponta
Neguraというところで、"ボイブンバ"というアマゾン地域を中心に流行している音楽のショーを見る事が出来ます。この踊りは本当にかっこいいです。是非、マナウスに行ったら見て下さい。
マナウスを総括すると、物価は高めで、市内のバスが1R$(サンパウロは1.15R$、リオは0.9R$でしたが、
最近は1R$)します。タクシーもすぐにメーターが上がります。でも、乗る前にタクシーの運ちゃんと値段交渉する事は可能です。治安については、それほど悪くありませんが、船着場の付近は、日曜日の夕方から一気に治安が悪くなります。その時間に船がマナウスに着く場合は要注意です。
次回は、マナウス郊外の川めぐりツアーに参加しましたので、その事について書きます。お楽しみに。
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12/6 Rio Amazonas
今日は朝7時に起き、アマゾン川めぐりツアーへ出発しました。ボートを1日借り切ってのツアーでした。アマゾン川にはボートへガソリンを補給するため船が停泊していて、1L=1.56R$(約90円)で売っていました。今回借りた船は、ガソリン代を40R$分入れていました。
その後、ネグロ川を下り、ネグロ川とソリモンイス川が合流する地点へ向いました。その途中、巨大なタンカーが接岸していました。中東などから直接ここまで来るそうです。その後、「ソリモンイスの奇観」と呼ばれる合流地点に到着しました。
ここでは、本当にネグロ川の黒い水とソリモンイス茶色の水が混ざらずに平行して流れています。これには本当に驚きました。ネグロ川の水は温かく、ソリモンイス川の水は温度が低いからだそうです。川の水に手を突っ込んでみて実感しました。
その後水上家屋のレストランに寄り、昼食を食べました。昼食はなんと"ピラルクー"のフライでした。でもピラルクーは希少種に指定されていて狩猟が禁止されていたような気がしますが…。さすがブラジルという所でしょうか。このピラルクーのフライですが、なかなかの美味でした。
午後からは、いくつかのインディオの水上家屋を訪問し、ある場所で口を縛ってあったワニを抱っこし、写真を撮ってもらいました。この写真を見た同僚達は「なんて勇気があるの?ワニを抱っこするなんて…」と口々に言っていました。その写真は口の部分が映っていなかったからでした…。
そしてソリモインス川を上りピラニア釣りをしました。ピラニアはネグロ川には居ないそうです。ピラニアはその辺の水上家屋の前で釣れました。釣る前に水をかきまぜ、肉の塊を針につけて待っているだけで簡単に釣れました。でも釣ったピラニアを針から外す時に、ピラニアに指を噛まれてしまいました。ピラニアに噛まれると複雑に傷がつくので、本当に痛いです。またぜんぜん血が止まりませんでした。さすがにここはアマゾン、病気の予防のためにも消毒をしないといけないので、カイピリーニャを飲む為に買っていたピンガを使って消毒しました。船の運ちゃんは、「これがアマゾン風の治療方法だ!」とのたまっていましたが…。
その後夜になり、ワニ狩りに行きました。ワニは光を当てると目が光るのでワニがどこにいるか場所がわかります。船をワニがいる方向に向けた後、エンジンを切り、一気に近づいて素手で取ると言う方法でワニを捕まえていました。何度もワニを捕まえようとチャレンジしていたのですが、何度も失敗していました。でもなんとか2匹を捕まえる事ができた。ワニもなかなか獰猛で、噛もうとしてくるので、持つときは。気をつけないといけないです。
そして夜が更け帰りました。13時間、200R$(約12000円)のツアーでした。2人でも200R$だそうです。
一人で行ったのでかなり高くつきました。ガイドは付きませんでしたが、船の運ちゃん二人は、アマゾン川で育ったものですから、アマゾンの事はよく知っています。マナウスに行ったら、是非川めぐりなどに行ってください。本当に楽しめます。
次回はベレン・マラジョー島編です。お楽しみに。
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12/8,11 Belem
マナウスを後にした後は、パラ州ベレン市に到着しました。ベレンは、パラ州の州都でアマゾン川の河口に位置します。ベレンは北ブラジルの中心都市だけあって、ベネスエラ・ガイアナ・スリナム等から直行便があります。また、ベレンは日系移民が多く入っており、Y.Yamada(イプシロン・ヤマダ)という、日本人移民が始めた大きなスーパーがあります。この街でも、日系移民が大きな影響力をもっています。
マナウスを13時に出発し、2時間後にベレンに到着しました。ただ、ベレンとマナウスには時差が1時間あります。またアマゾナス州ではオラリオ・ベラオン(サマータイム)を採用していませんが、パラ州では採用している事から、更に1時間の時差が存在します。そのため計2時間の時差があり、到着したのは17時でした。しかし飛行機の時計は16時でしたが・・・
空港から市バスでホドビアリア(長距離バスターミナル)へ行き、ホドビアリアの裏にあるホテルに泊まりました。1泊25R$(約1500円)でした。ベレンはバス代が0.7R$(約40円)です。ベレンも暑くて湿度が高く、体調維持が大変です。
ベレンでは夜になったら、フェリー乗り場・ホドビアリア周辺、Comercial地区の裏通りには注意してください。特に夜のフェリー乗り場の周りの雰囲気は最悪です。
ベレンでは、泥カニを食べに行きました。すこし泥臭いのですが、なかなかの美味です。他には“マニソバ“という食べ物が美味しいそうです。”そば”ではありません。悪しからず。私が屋台で注文した時は、売り切れていたので、食べる機会がありませんでした。ただ見た目が相当悪いという話です。
次の日は、マラジョー島に行く予定でした。マラジョー島ではFazenda(大農場)に泊まる事が出来るそうです。その場合は、旅行代理店にアレンジしてもらうといいでしょう。
次回はマラジョー島編です。
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12/9-10 Ilha do Marajo
12/9の朝、マラジョー島に向かいました。マラジョー島はアマゾン河口にある川中島で、九州程の大きさがあるそうです。11時にベレンを出発し、4時間後、マラジョー島の船着場に着きました。マラジョー島の中心地ソウリまでは、更にバスで1時間でした。
ソウリ到着後、宿を探そうと思ったのですが、宿の客引きが全くいません。街の地図もないため、Lonely
Planetのブラジル編にある宿の名前を頼りに場所を聞きながら歩きました。バス乗り場から15分も歩くと、目指す宿が見つかりました。エアコン無しで20R$。エアコン付きで40R$でした。この辺の宿は、一部屋いくらで借りるので、出来るだけ多くの人でと行くと安く上がります。あと、できればエアコン付きをお勧めします。マラジョー島は蚊が多いのに、このクラスのホテルには蚊帳もないので、窓を閉め切って寝る必要があるからです。
次の日の朝、ソウリの街を宿の自転車で回る事にしました。とにかくのんびりした島だと思いました。
ブラジル本土よりものんびりしているかもしれません。気分転換には最高です。
マラジョー島は川中島ですが、マナウスと同様にプライア(ビーチ)があります。ソウリからは2箇所あり、遠いほうのプライアがお勧めです。朝8時に直行バスが出発します。これを逃すと、バイクタクシーを使う必要があります。
私は、バイクタクで近くのプライアに行きました。このビーチは家族連れが多かったです。1時間ぐらい日焼け止めなどを使わずに寝ていると肌がじりじり焼けてくるのが分かりました。そのため、食事をしている時も皮膚が痛くて辛かったです。ほぼ赤道直下だけあり、日差しはかなり強いです。
その後、15時にバイクタクにプライアへ迎えに来てもらう約束をしていたのでバイクタクを待ったのですが、
待てども待てども現れませんでした。あれ?一体どうなっているのかな???と思っていると30分遅れてやっていました。忘れていたようでした・・・。
その後ソウリの船着場に行き、12/10にベレンへの舟が出発するかどうか確認しました。そうしたらその日は別の船着場からもベレンへの船が無く、今日の16時の船のみと係員に言われたので、大急ぎで宿に戻り、荷物をまとめ、船着場に戻り、何とか船に乗り込みました。旅行の予定が危うく狂うところでした。
次回は、フォルタレーザ編をお伝えします。
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12/12-14 Fortaleza
7時に宿を出発した後、40分程で空港に着きました。空港ではまたもやトラブルに巻き込まれてしまいました。12/5にリオで飛行機に乗れなかったのが原因で全て予約が落ちてしまっていたのです。
リオでは、リオ・マナウス間の予約しか復活させていなかったようでした。乗り継ぎを含め、12回飛行機に
乗る事なっていたので、チケットが他にあるのかわからなかったのかもしれません。でもこのおかげでフォルタレーザ行きはキャンセル待ちになってしまい、航空券の予約を全部入れなおす羽目になりました。ほとんどの予約は、出発前に予約していた便で予約をする事が出来たのですが、サウバドール・ポルトセグーロ間がAM
2:00出発と最悪の時間帯になってしまいました。でもキャンセル待ちをしていた、ベレン発フォルタレーザ行きの飛行機は出発時間までに何とか乗る事ができました。
飛行機は途中マラニョン州の州都サン・ルイスを経由した後、フォルタレーザに着きました。フォルタレーザに着いた時、空港が綺麗な事と、開放的な空気に溢れている事に驚きました。ここでは知り合いの家にお世話になる事になりました。高級マンションの21階で、オーシャンフロントというロケーションで、非常に贅沢な空間です。ここでは優雅にリゾートを楽しむ事にしました。
フォルタレーザはノルデスチ(東北ブラジル)第一の都市だけあり、非常に大きいです。でも町の中はこれといって見所があるわけではなく、プライアに近い地域に宿を取り、プライア(海岸)沿いを優雅に散歩するのがいいでしょう。これは本当に気持ちがいいです。また私が滞在した地域の海岸では、夜になると露天が出ていました。これをのんびり見て周るのもお勧めです。
街中を歩いていて気づいた事ですが、本当に東洋人が少ないため、街を歩いていると本当に目立ちます。また、この街を走っている車は地域によりますが、輸入車が非常に多い様に思えました。フォルタレーザの金持ちは本当に金持ちのようです。ただブラジルの大都市にありがちな事ですが、金持ちが住む海岸地域とそれ以外の地域では、景観に歴然とした差があります。
あと気候ですが、これまで訪れたベレン・マナウスに比べると湿度が低く、海側から風が吹くので非常に過ごしやすい様に思えました。ただ、本当に日中暑くなるので、11:00ぐらいから14:00ぐらいは、地元の人でもあまり外出しないそうです。私もアマゾンの気候に多少体が疲れていたので、ここではそれほど外出はしませんでした。
フォルタレーザの治安については、他のブラジルの大都市並みという事にしておきます。この街では、観光客エリアのみ周る事がほとんどでしょうから、無茶な事をしない限りそれほど心配しなくてもいいでしょう。ただ油断は禁物ですけどね。
次は、今回の旅行のハイライト一つである、カノア・ケブラーダを訪れます。
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12/14-17 Canoa Quebrada
今日は朝早く起き、バスターミナルへ向いました。市バスは0.8R$。カノアケブラーダへのバスは11:00に出発しました。バスはセアラ州の田舎をひた走り、約3時間後、カノアケブラーダに着きました。
ここから1時間もバス乗れば、リオグランデ・ド・ノルチ州です。カノアケブラーダは、500人程が住む小さな村ですが、アマゾン地方から移ってきた3家族のインディオが住み始めたのがきっかけで街ができ、その家族が自分の地元の人を呼ぶ事で人口が増えてゆきました。それだからか、ここの人たちはほとんど親類関係があり、苗字も3つほどしかないそうです。
カノアケブラーダは10年程前まで、単なる漁村で電気も水道も無かったそうです。しかし海の美しさが知られるようになると、次第に観光客が増え始め、今では新興観光地として脚光を浴びつつあります。この村は、観光客エリアと地元民が住むエリアとくっきりと分かれています。
観光客エリアにはディスコ、レストラン、ポウザーダ(民宿)等がありますが、地元民エリアでは昔ながらの生活が行われています。また地元民エリアは保護地区に指定されており、ここの土地以外の住民が土地を買うことが出来ないそうです。
私は今回、友達の紹介があって、地元民エリアに滞在する事が出来ました。 この村では、CRIという日本のNGOが母子保健活動を行っています。そのため、日本人のボランティアスタッフが保育園運営等の仕事をしています。今回のカノアケブラーダ滞在では、本当にそのスタッフにお世話になりました。CRIのURLは、http://www..hello.co.jp/~crijapan です。
私はある家にホームステイする事になりました。ここでは、これまでにも何人もの外国人が滞在したようです。本当に温かい心遣いを受けました。またその家の主人は、本当に気持ちのいい人でした。彼女はポルトガル語しかわかりませんが、これまでの経験からか、外国人に慣れていました。
カノアケブラーダは海から砂が運ばれてくる為に非常に砂が多いです。ノルデスチに共通した風景なのですが、海岸沿いに砂丘が形成され、どんどん内陸の方へ入ってゆきます。海沿いにあるこの村でも、砂がどんどん増え、50センチ位の高さの砂が家を囲んでしまっている光景を見る事ができます。
この日はサッカーをし、その後、砂丘に登る事にしました。お世話になったの家の裏にはサッカー場があります。サッカー場といっても全部砂に覆われているので、ビーチサッカーみたいなんですが…。また、砂丘の上から眺める海岸線・集落・海は本当に美しかったです。フォルタレーザの作られたビーチから見ると、ここのビーチは自然そのままという感じで、時間を忘れて見入ってしました。
次回もカノアケブラーダ編、続きます。
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Canoa Qubrada
カノアケブラーダでは、あいにく雨が降る事が多かったです。そのために、一日中のんびりと過ごす事が多かったです。ただ、この地域は乾燥地帯であるため、村の人からは、あのジャポネーズが雨を連れて来たのだと喜んでいました。
ある日、家でくつろいでいると、家の主人の息子その恋人がやって来ました。彼はこの村でも腕利きの漁師で、恋人はノルウェー人の美女でした。この二人はほとんど会話は出来ないようでしたが…。フォルタレーザは欧州からの直行便があるので、欧州からの外国人が多く訪れてます。そのような外国人旅行者の中には、カノアの人たちと恋人となる事が少なくありません。村の男性と外国人女性が結婚し、その男性がフォルタレーザや外国に住む事もあったそうです。
また、ある日は漁師が昼になってから帰ってきて、村の人々が彼を迎えていました。彼は前に紹介した漁師の兄で、お世話になっている家の主人の長男です。前日から漁に行っているのに、戻ってこないと家の主人などが心配していました。
彼はジャンガダと呼ばれる小さな船で、沖に漁へ行ったのですが、悪天候だったために戻る事ができず、昼になってから帰ってきたそうです。
そんな彼を家族や親類が砂浜で迎える。日本の漁村にも良くあった光景なのかもしれません。
カノアでは、朝はコーヒーにパン、昼や夜はフェジョン・米・ファラッハ・パスタ等の一般的な食材の他に、魚を食べます。やはり新鮮な魚を食べるので本当に美味しいです。私が着いた日の昼は、魚とロブスターの塩焼きでした。この魚は、この家の長男と次男が漁で取ってきたものです。
カノアケブラーダには、ディスコやダンステリアがあります。カノアケブラーダの周辺の町にはこのような施設が無いので、みんな週末になると、ここに集結する為、ディスコなどは本当に混み合います。
フォルタレーザに出発する日、お別れに持っていたカバキーニョを演奏しました。(まだまだ下手なのですけど。)こうなると、まるで『うるるん滞在記』のノリです。今度訪れる時には、ビデオを持参したいと思いました。それぐらい、映像・記録に残しておきたいと思わせる所でした。ああ、そういえば、あの『うるるん滞在記』もカノアケブラーダへ撮影に来たそうです。
フォルタレーザに戻り、高層ビルや秩序だった街並みを見ると、カノアとのギャップに頭がの大きさに驚いてしまいます。たったの2時間程移動しただけでここまで違うと…。どちらの生活が良いかとは一概に言えませんが、幸せの基準が違う、そういえばそれだけなのかもしれません。
この日、セアラ州内陸の町、ジョアゼイロ・ド・ノルチへ向いました。
次回はジュアゼイロ・ド・ノルチ編です。
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12/18-19 Juazeiro do Norte
次の目的地、ジュアゼイロ・ド・ノルチはセアラ州の内陸に位置し、パライバ州・ペルナンブーコ州・ピアウイ州から近い場所に位置しています。また、内陸にあることから、酷暑としても知られています。
また、ジュアゼイロはシセロ神父が反政府運動を起こした町として知られ、シセロ神父の墓地等は、信仰の対象となっており、ブラジル全土から巡礼者が訪れます。また、この街にはシセロ神父の巨大な立像があります。
ジュアゼイロへのバスの中は辛かったです。夜行バスだというのに、子供は騒ぎ、道は悪く、全くといい程寝られませんでした。
そして、8時間半かかってジュアゼイロに着きました。始めて見た印象は、「ここって本当にジュアゼイロなの?」それぐらい特徴のない街に見えました。
そしてローカルバス(0.5R$)に乗り、セントロまで行きました。ジュアゼイロは、ツーリストインフォメーションは無く、地図も無いようでした。そのため、ホテルの位置がわからず、
その辺のオヤジに話を聞きました。その時、彼にガイドブックのホテルの名前と住所(ポルトガル語)を見せたところ、彼は文字が読めませんでした。これは本当にショックでした。でも、ホテルがある場所を聞き出す事ができたので、ホテルを見つけ宿泊しました。1泊15R$(約900円)でした。
そして午後からシセロ神父の立像を見に行きました。本当にボロボロのバスに乗り、像がある丘の上に上ってゆきました。途中ファベーラを抜け、そのでこぼこした細い道をバスはひた走り、頂上に着きました。シセロ神父の立像は確かに大きいのですが、芸術的な物と言える代物ではなかったです。そして、ここでは物乞いが多い事に辟易してしまいました。
そしてその後、建築途上のまま放棄されている僧院に行き、まるで『セントラルステーション』の映像にあったような、乾いた荒野を見つつ、周辺を歩きました。
その後、宿に帰り一休みをした後、教会でミサがあると言う事だったので、行ってきました。ここでは1000人以上に見える巡礼者が固まって泊まっていた。ミサ云々よりも巡礼者の数の多さに驚きました。
そして、その教会の近くでは夜店の多く出ており、巡礼者が買い物を楽しんでいました。色々な物がありましたが、値段を聞いてみてもこれまで訪れた街よりも安いような気がしました。
またジュアゼイロでは、これまで旅行で取った写真を現像しました。でも出来上がった写真をみてショックでした。色が何となく薄く、おまけに半分ぐらいの写真が現像されませんでした。サンパウロでは問題は無いのに、田舎では技術的に問題がありそうです。ここで現像を出した事を本当に後悔してしまいました。
次は、アラゴアス州マセイオーに行きます。
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Maceio 12/20-23
この時間のジュアゼイロ・ド・ノルチのバスターミナルでは、大混雑していました。ここではとんでもない大荷物を持ったブラジル人がたくさんいました。その荷物はどうやら、マセイオーで売るために運ぶようです。バスは荷物の重量制限がありませんので、運べるだけの荷物を持ってきているようです。
この時は夜行バスで移動したのですが、ここからマセイオーへの道は非常に悪く、ほとんど寝られませんでした。また、ペルナンブーコ州の内陸部などは、バス強盗多発地帯として知られており、夜間の移動は避けるように言われているのですが…。何がともあれ、13時間程で、マセイオーに着きました。
マセイオーはアラゴアス州の州都ですが、非常にこじんまりした町で、海の美しさで知られています。ここでは、日本人の友達が研修をしている、マツバラホテルに泊まり、優雅にリゾート生活を楽しむ事にしました。マツバラホテルのプールはお勧めです。ただ、少し街の外れにあるのが難点ですね。
ここでは、街中のプライアから出発しているジャンガダ(4人で25R$程度)に乗って、マセイオーのビーチから少し沖合いにある環礁、ここでは天然プールと言っていましたが、そこへ行きました。ここではパンをちぎって海の中に入れると、一気に熱帯の魚が集まってきました。これはお勧めです。
マセイオーではこれまでの旅行の疲れが一気に噴き出してきた事があって、ホテルのプールに入ったり、プライアを散歩、絵葉書を書くなど、出来るだけのんびり過ごす事にしました。"がつがつ何かを行動することが似合わない街”そんなイメージです。
マセイオーは物価がかなり安いように思いました。ココの実が50センターボ(約30円)で飲めますし、フェイラ(市場)では、ノルデスチ名産のレースの編物が安く手に入れることが出来ます。かさ張りませんし、軽いのでお土産にはもってこいだと思います。
次はサルバドール編です。
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Salvador 12/23-27
マセイオーから飛行機は1時間程でサルバドールに着きました。サウバドールの空港は2000年12月に新しいターミナルが出来たばかりのようで、本当に綺麗でした。当地サルバドールでは、これまた友達の家にお世話になる事になりました。
"ブラジル3大危険地域"として、サンパウロ・リオと並び恐れられるサルバドールですが、私の印象では劇的に治安が改善されていると感じました。セントロ地域のペロニーニョ広場やラセルダエレベータ等、目抜き通りでは、約100メートルおきに、警官が立っており、他の地域のセントロでは絶対禁物の、
「夜暗くなってからATMお金を引き出す」という事が出来るのです。これはすごい事だと思いました。
しかし、少し路地に入り込むと、サルバドールに流れ込んだ人たちが不法占拠しているビルや上町と下町の間のラデイラ地域など、雰囲気が一変しているところもあり、そこは昼間でも相当危険です。
市内の真中にファベーラ(貧民街)があるのがサルバドールの特徴です。これらの所に間違って迷い込まないようにしましょう。
私がサウバドールを訪れたのは、12月のNatal(クリスマス)の時期で、セントロはクリスマス一色に飾り付けがされていました。そのおかげか、夜は本当に華やかでした。
ブラジル人は歴史的な建物でも平気で電飾をつけてしまいます。日本で言えば、東大寺や二条城に電飾をつけてしまう感覚でしょうか。確かに綺麗なんですけどね。
ただ、今回のサルバドールでの目的だった、Timbaladaというグループのライブはありませんでした。ブラジルではクリスマスは家族と家で過ごすのが普通のようで、外出をする事はそれほど無いようです。そういう理由でライブが無かったようでした。
お正月をブラジルで過ごすという日本人旅行者に会ったのですが、彼もライブが無い事を本当に残念がっていました。
サルバドールではプライアに行きました。ここにも多くの素晴らしいプライアがあります。サルバドールは黒人の住民の比率が高い街ですが、プライアでは他州からの観光客が多く訪れ、白人の姿も少なくありません。
プライアに座っていると、物売りたちが盛んに声を掛けてきます。その中には、小エビを揚げた物や、チーズを串に刺した物を、持ち歩いている炭で、その場で焼いて売る「焼きチーズ」などがあり、チーズであれば、0.5R$で食べられますので、是非試してください。
サルバドールではお土産が揃っています。その中でも、T−シャツはお勧めです。いいデザインのものが、安く買うことが出来ます。他にも「ビリンバウ」と呼ばれる、カポエラの時に演奏される楽器もお勧めです。
次回もサルバドール編、続きます。
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Salvador
サルバドールは歴史的な建造物が非常に多いです。ブラジルがポルトガルの植民地であった頃、サルバドールにブラジル総督府が置かれためです。私としては、コロニア建築の代表的な街として知られる、オーロプレットよりも、興味深い建物が
多い様に思えました。この街で印象的だったのは、ラセルダエレベーターとボンフィン教会です。
サルバドールは商業地区や港がある下町と、歴史的な建築物があり観光地でもある上町の二つに分かれています。その間は、ラデイラと呼ばれる坂道、ケーブルカー、エレベーターが結んでいます。
ラデイラは、サルバドールで最も治安の悪い地域ですので、通る事は出来ません。そこで、ケーブルカー・エレベータを使う事になります。このラセルダエレベーターは、サルバドールを象徴する景観です。1回の運賃は5センターボ(約3円)です。
ボンフィンはサルバドールでも古い教会になりますが、この教会で奥には腕・脚・頭部のろうそく細工が天井から吊るされています。これは病気が治る為に願をかけたものですが、これは異様な光景でした。
またボンフィン教会の外では、若い兄ちゃんが観光客の腕にミサンガを付けようとたむろしています。始めは無料と言ってきますが、つけられたら、お金を請求されますので、そのつもりで。
サルバドールでは、貧困層の若者に、技術や音楽を指導する為の活動がいくつかあり、大きな成果を上げています。それらの中にはバイーア出身のミュージシャンがパトロンとなっているのもあります。
"Project Axe"はカエターノ・ベローゾが、"Timbalada"
はカルリーリョス・ブラウンがパトロンになっています。
私の日本人の友達は、これらの活動に興味があるようで、二人でサウバドールのこれらの事務所や現場を回っていました。これらの事務所では、いきなり事務所に行ったのにも関わらず、責任者に会えたり、スケジュールを聞くことが出来ました。
日本であれば、「紹介なし、アポ無し」でいきなり事務所に行っても、軽くあしらわれますがこの辺、ブラジルは本当に気持ちが良いです。
最終日、オルドゥンのショーに行って来ました。オルドゥンはパーカッション(打楽器)を演奏するグループで、迫力満点の演奏をします。サルバドールに来たら、何か音楽のライブに行かれる事をお勧めします。
ショーなどに行く時にいつも感じるのは、人と違う事や個性を重視するブラジル人も、ダンスについては、上手そうな人と同じ踊りをして、揃えようとします。どうしてなんでしょうねえ???
このライブの後、タクシーはで空港まで行きました。交渉して費用は30R$という事になりました。飛行機はAM2:50発。1時間程度でポルトセグーロに着きました。でも宿を予約していなかったので、空港ロビーで休む事にしました。
しかしロビーは飛行機が出発すると真っ暗になり、カギが閉められてしまいました。でも職員は朝まで空港の中に居させてくれました。
次は、ポルトセグーロ編です。
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Porto Seguro 12/27-31
ポルトセグーロはバイーア州の南に位置し、人口5万人程のこじんまりとした街です。1500年にカブラウがポルトセグーロの近くに漂着したことから、ポルトガル領ブラジルが始まりました。
去年は西暦2000年だったので、カブラウ到着500年後のポルトセグーロを是非見てみたいと考えていました。
ポルトセグーロは、美しいプライア(ビーチ)がたくさんありますが、北の方にローカルバスで行けば、カブラリアまでプライアがあるそうです。
反対に川を渡って南に行くと、アハイアルダジューダ、トランコーゾの両地区にプライアがあります。私は、トランコーゾとアハイアルダジューダに行きました。
ポルトセグーロには、年末の前に行ったので、本当に宿が高かったのです。ここの宿はファミリーロッジタイプが多いため、一人で泊まると言うと、ほとんどの所で断られてしまいました。
1週間といった期間、家族で過ごす人が多いようです。でも何とか宿を探し出し、アハイアルダジューダでは一泊30R$(約1800円)で宿泊し、ポルトセグーロの街では1泊40R$(約2400円)で宿泊しました。
アハイアルダジューダの宿は良かったのですが、ポルトセグーロの宿は最悪で、これまで泊まった宿の中で1番ひどかったです。蚊がとんでもなく出てきて、壁に打ち付けて殺すので、白い壁が蚊の残骸だらけになってしまいました。また窓が無いからか、かび臭く、なんだか独房に入れられたような感じでした。
ポルトセグーロといえば、ブラジル人の間では美しいプライアとして有名です。それに加えて、ヌーディストビーチとしても有名です。ヌーディストビーチといえば、南ブラジルのフロリアーノポリスの一部のプライアも有名です。
ヌーディストビーチまで行くと、それほど人が居ないからか、一般のプライアよりも美しいように思えます。でもフルヌードの女性はほとんど居ませんでした。むしろ、素っ裸で歩いたり泳いだりしている男性の方が目立ったような気がしました。
ポルトセグーロは、私が今回訪れた中で1番美しいプライアがあったように思えます。
歴史的な建築がある、Cidade Historica は街の高台にあります。ここからの海の眺めは最高です。是非、行ってみてください。
次は最終目的地、リオ・デ・ジャネイロでしゅ。
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31/12/2000-01/01/2001
Rio de Janeiro
最終目的地のリオに辿り着きました。旅行に出てから31日が経過していました。リオへは今回で5回目の訪問になります。
この日、コパカバーナ・イパネマ・フラメンゴの各プライアでは、21世の訪れと共に花火が上がる事になっており、コパビーチではショーが予定されていました。そういうわけで、リオで世紀明けを迎える人は想像以上に多く、宿の確保が本当に大変でした。
でも、何軒も歩き回っているうちにCatete地区の安宿で通常の2.5倍の価格となる、100R$(約6000円)で宿泊しました。
リオのインフォメーションでは、この日、宿が取れなかったあるアメリカ人が4人で1泊1400R$(8万4000円)を出費したそうです。そういう意味では幸運だったかもしれません。
ただ、私の泊まった宿はまたもや最悪で、部屋に入ると、ゴキブリの死骸が転がっていました。かなりの時間、掃除をしていなかったのでしょう…。
この日のリオは雨が降ったり止んだりしていて、はっきりしない一日でした。午後になり、コパカバーナのプライアに移動しました。コパでは、白づくめの格好をしたブラジル人が海に向って花を投げていました。意味はわかりませんでしたが、大晦日の日、リオではこのような事をするようです。
そしてコパビーチの周りには、観光客相手に飲み物を売ろうというブラジル人が、大量のビールやジュースを運んでいました。
そして、コパに面した大通りでは、サンバのグループの行列が歩いていて、そこに仲間に入り、踊ってみると、本当に気分が盛り上がってきます。なんだかカーニバルが待ち遠しくなりました。
少し長くなったので、次回に続けます。
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Rio de Janeiro
夜になると雨は強くなり、雨中でのカウントダウンになってしまいました。
この時プライアを歩いてみて思ったのは、花火の打ち上げの場所から人が居るところまで、たった2メートルしか間隔を取っていない事でした。これって、もし筒が横に倒れたら…と思わず思ってしまいました。
その後、私はカウントダウンの後に抜くつもりで発泡ワインを買いました。カウントダウンに合わせて、栓を抜こうと思ったので、先に振る事にしました。しかし瓶を振りすぎてカウントダウンの30分前にポンという乾いた音と共に栓が抜けてしまいました。これは、むなしかったです…。
カウントダウンの10分前、雨もまだ降り続いていたので、一緒にいた日本人の友達は、「どうせ濡れているし、海に入るかああ???」と妙に盛り上がってしまい、海に行ってしまいました。私も残りのワインを飲み海へ突撃しました。そして、12時を過ぎ花火が一気に上がり始めました。
しかし、コパカバーナにはカウントダウンの為の時計台が無い事ため、みんなバラバラのタイミングで0時を迎えて大騒ぎするといういかにブラジルらしい21世紀の幕開けになってしまいました。
花火はこれまでで最大の規模だったそうです。夜空に上がる花火、海に映る花火・プライア沿いのビル群の光・ビーチに集まる人々、それらを海の中から見た時は格別の感慨がありました。友達とみんなで訳のわからない大きな声を上げて騒ぎ、水を掛け合う。そして誰か知らないブラジル人男性と肩を叩きあい、白人女性と抱き合うなど、みんなで21世紀の訪れを祝福しました。
この後、ここまで履いてきた、ビーチサンダルの片方が無くなっている事が発覚しました…。どうやら流されたようです。という訳で、もう片方も海に投げてしまいました…。この時も雨が降り続いていました。
確か23℃だったような…。始めは21世紀を迎えた興奮で体も温かかったのですが、雨で体が冷えたのと、これまでの移動疲れが出てきた為、眠くてしょうがなかったです。そんな中、宿へ戻ったのでした。
この日は、一日中バスが運行していたようでしたが、どのバスも大混雑でした。そして、バスに乗った時、疲れが出たのか、立っていたのに居眠りをしました。
そして宿に帰りついたのは4時。シャワーを浴びた後一気に眠ってしまいました。この時はさすがに電池が切れたように眠り込んでしまいました。
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01/01/2001 a Sao Paulo
9時に目が覚め、カフェを飲んだ後、新聞を買うためにカテッチの街を歩いてみました。年明けだけあって、ほとんどの店は閉まっていました。
とりあえず、新聞を買うことができ前夜の花火の事が大きく取り上げられていた。また花火が暴発して1名が死亡し、30人以上がケガをしたとありました。あの距離ではしょうがないかもしれません。でも、ブラジルなので来年も変わる事はないでしょう。
この日は抜け殻みたいになっていたので、何も特にせず、昼食を取り、その後バスターミナルに向かいました。バスターミナルへは、いつも乗るバスと違うバスに乗ったため、ホドビアリアの近くでおろされてしまいました。
バスターミナルへの道で、一人の黒人が、大荷物を持った私を明らかに狙おうとしてました。周りに人が居たので、ためらったようですけど。バスターミナルへ行く時はターミナルに着くバスに乗る方が確実のようです。
この日のバスターミナルは多くの人でにぎわっていました。この日出発のバスは数日前から満席になっていたようです。バスは多少遅れたものの、サンパウロに向って出発しました。
5時間後、サンパウロの高層ビル群が見えてきた時、なんだか帰ってきた気分になりました。そして自分の部屋に戻り、インターネットにつなげてみると、メールがたまりにたまっていました…。
“ブラジル東西南北" ここまでです。ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。文字だけなので、なかなか難しいでしょうが、リオ・サンパウロ以外の「ブラジル」を感じていただければ、幸いです。
ご意見・疑問・賞賛・叱責があれば、是非、レスを入れてください。
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